「頑固じじぃは・・・」

様態が急変し、再三、救急車で病院へ駆けつけていた義父ですが、ようやく10日、気管支が細くなっている為の呼吸困難だと、正しく診察を受けることができました。

現在、ICUに入って適切な治療を受けています。

昨夜母は、父の居ないベットに向かって吸引機を片手に何度も立ち上がったそうです。

「習慣?トラウマ?あらまー!」と、私は明るく交わしました。

今の生活範囲内だと、なかなか明るい方へ楽しい方へ・・・は難しい環境です。

外へ出ないと介護から完全に切り離した時間は作れません。

 

今日は、義母を連れ出しました。

母の要望もあって社会保険事務所へ訪ね、その帰り道、ピノキオという喫茶店へ行きました。

これまでの苦労を数々聞きました。

父は、特に母にわがままを言うようです。

「 頑固じじぃは・・・ 」 ゴロゴロ痰が絡んでいるのに、貝のように口をつむって吸引をさせてくれなかったり、

おへそから出ている、栄養を流す管を 右手でバイバイとできる唯一の動作で、抜こうとしたりするそうです。

頑固じじいは・・・ とさらりと言って、誰かに話す、、、それが唯一の笑い話なんて、寂しいですけれど・・・。

母は、「 頑固おやじ(*^。^*)、頑固じじい(*`θ´*) 」 と言わなきゃ、やってられなくなったようです。

わがままを言う患者を腹立たしく思う母の気持ちが痛いほど分かります。

少しでも忘れて欲しかったのですが、仕方ない。

その後、母の取り越し苦労のような今後の身の置き方などを聞き・・・母の不安を取り除くすべも無く

二人のんびり、「 頑固じじい 」 と 「 頑固おやじ 」 などと言い合って、明るくお喋りをして帰りました。

その時間、ちょっぴり若返った母を見ました。 

食事

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あらためて

LOVE
親が子供に最後に教えることは、自分の身をもっての「人間の死」・・・。

今夜、Blogの友から教えていただきました。

心が引き締まりますね。

子供達は私の姿をみて何を学ぶというの?全く自信無いしぃ~~~。

私はどんな死に方をするのでしょう。

「良い人生だった。」

そうつぶやきたいですね。

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私がBlogを始めた理由のひとつは、子供達に今の自分を残す為でした。

数年後は、子供達の銘々の進路で家系が火の車となるだろうから、日中の仕事+新聞配達をしようと心に決めていたからでした。

ところが先日、それを聞きつけた実の母が、哀願するかのように、「それだけはやめて頂戴!」と、泣いて泣いて・・・・・。

母は、私が新聞配達をしていた10数年、ゆっくり夜を過ごしたことが無く、ぐっすり眠っていなかったそうです。

雨が降っては共に冷たくなり、風が吹き込んでは重くなり、雷が鳴ってはドキッとし、雪が積もってはハラハラし、身も心も擦り減ったと言います。

感じていたものは、母も私も一緒だったようです。

交通事故を経験した私にとって新聞配達は、死と背中合わせの職なのです。

私は、なんて親不孝者なのでしょうね。

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6年前、長年の睡眠不足で、私の心は疲れていました。

夫の何気ない言葉にいつも寂しさを感じてしまい、暖かいものを願い過ぎていました。

そんな生きる気力が萎えた時、朝の5時の薄明かりの中、私は新聞配達中交通事故に遭いました。

あと一部で配り終えるという瞬間、自転車とトラックの衝突事故でした。

私は左足首骨折と腰椎捻挫、全身打撲という軽傷で命を取り留めました。

3ヶ月の入院中、家事の負担は13歳の長女にどっぷりと のしかかり、家族は生活リズムが掴めなくて、皆、爆発寸前だったといいます。

私は、家庭の一切合財は、やはり私がいなきゃダメね!と

退院時はスラックスではなく、白いフレアースカートを着て堂々とロビーに立つことを目標にリハビリに専念しました。

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今春は、ようやくハイヒールが履ける様になりましたよ。

今、生きていることを感謝して、自分から変わることを学び、素敵な空間をたくさん見つけました。

そうですね。改めて今後を見直すことにいたします。

これからの目標は、

「可愛いおばあちゃんになりましょう。」

今じゃないのよ! いずれ。いずれね♪

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