先々週、38度を超す熱が数日続いている父の様態を 入所している特別養護老人ホームから知らされていました。
熱が治まって一週間が経ち、ようやく父に会えました。
エントランスに父と母と弟と私、古い家族が揃いました。
ガラスごしに見る父は、不機嫌そうに見えました。
弟は、
「家族揃ったのぉ。わかるか?」
と、父に尋ねます。
母はしきりに
「じいちゃん!じいちゃん!お互い長生きしょーねぇ。」
と、マイクを持って話しかけます。
ですが、父の返答はありません。
私が、
「ばあちゃんが作ったスイカを持ってきたよ。皆さんと一緒に食べてね。」
と言うと、
父はうなずきました。
ヘルパーさんの話では、
- ゆっくり自分で食事をする
- 人形を持つと抱いたり揺らしたりして遊ぶ
- 癇癪を起こしたり暴れることは一切ない
- 自分の気持ちを言葉で表現することはあまりない
- 話しかけると静かに一言 応える
とのことでした。
いたって穏やかに生活しているようです。
内服薬で落ち着いたと聞くけれど
あの熱は何だったのでしょう?
車に乗り込んだ母は、
「元気そうで良かったー。」
と言っていますが、その後に
ため息を付きました。
前回の面談では、
オムツばかりに頼って、定期的にトイレに誘導していない!
と、その事を嘆いて排泄の介助を強く望んでいた母でしたが、
今回は、しおらしい様子です。
いつもなら、思ったことを口にする母ですが、
その母は、
何を感じているのか…。
何に怒っているのか…。
何と向き合っているのか…。
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私は介護には詳しくないけれど、
そして、認知症の老いていく過程を知らないけれど、
私はそれでも、施設の介護者のお陰で娘をさせて頂いております。
私は、有り難いと思う気持ちと、
消えつつある父の感情や いつになく無言の母を案ずる気持ちが混在します。
母の心を案ずれば切ないし、今回の面会で父の笑顔が全く見られず胸が痛みます。
生きていると、嫌なことや傷ついたことが色々あります。
そんな時、その気持ちを話せるかどうかで、心の健康は大きく変わってきます。
人って不思議なもので、気持ちを聞いてもらうことで、健やかな心持ちで過ごすことができます。
ところが反対に、どんなに心が傷ついてもタイミング悪く話すことができなかったり、我慢することを自分が是認すると、体調が不調になったり、心が病気になることだってあると思います。
そういう意味で、自分の気持ちを我慢することなく話せること、そして、気持ち良く聞いてくれる人がいることが大切だとつくづく思います。
私にBlogがあって良かったー。
まだまだ現役で勤めている弟は、家族から離れ母と同居しています。
母は今日の事を息子と語っていることでしょう。
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